勉強会情報
主催:服部宜成(@東京大学駒場キャンパス)
日付:2019年8月15日(木)17:00〜20:30
参加者:服部(比較)、中川(比較)
範囲:1、2節 1〜5ページ (原文)
第二回予定日:未定
*服部との議論に即して適宜訳語を考えているため、翻訳は参照していません。
より適切な訳語がある場合はコメント欄よりご指摘頂けますと幸いです。
*問い/重要な部分、議論の結果、具体例、コメントと色分けを行っています。
内容
第一節(p.1 Very often, when a man say~)
・Intentionに関わる三つの概念区分:(1) an expression of intention (for the future), (2) an action as intentional, (3) intention in acting. これらの内一つを取って意図の全てを語るのは誤っているように思われるかもしれない。
・例えば「意図intentionは常に未来に関わる」という場合でも、行為actionは未来と一切関わりないまま意図的intentionalでありうる。
・このことに気づくと、意図には複数の意味senseがあり、また意図的という語が意図と結びついていると考えることは誤っていると言いたくなるだろう。
・あるいは、確かな意図と共になされた行為だけが意図的と呼ばれるべきだと考えたくなるかもしれない。
・しかし、この意図という語が以上のように異なる場合で用いられるからといって、多義的だと言うのはもっともらしくないのである。
→これらに共通する意図の性質がある?
第二節(The distinction between~)
・意図の表現expression of intentionと予測predictionの違いは直観的には明らかである。
→風邪引きそうは予測、散歩に行くは意図の表現である。ではこれらはどう異なるのか?
・予測は未来に関する言明statementと仮定しよう。すると、意図の表現は未来に関する言明ではなく、現在の心mindの状態present stateの記述だと言いたくなる。
・しかし、こう仮定すると、なぜ意図の表現が本質的に未来と関係を持つべきなのかがわからなくなる。
・かといって、この問題を解決するために未来との関わりを意図の性質に結びつけようとすると、意図が未来に関わることと、予測が未来に関わることとの違いがわからなくなる。
予測の説明
・予測の場合、言明の前後を動詞の変化で比較することで真偽が判断できる。
e.g. I am going to be sick→I was sick
・このように考えると命令commandと意図の表現も予測に含まれるだろう。
→予測を上位概念として、下位概念に命令command、意図の表現、推定estimates、純粋な予言 pure propheciesなどが含まれることになる。(しかし、アンスコムのモチベーションはおそらく予測と意図の表現を区別すること。以下、アンスコムは文法的側面からこれらを区別することができない例を挙げている)
・一つの発言は複数の機能を兼ねうる。
e.g.医者が患者に「看護師があなたを手術室まで連れて行きます」という場合。これは意図の表現でもあり、予測でもあり、情報の伝達でもある。
・以上の例は、当初の見通しとは異なって、直説法の性格は予測と意図の表現を切り分ける明確な指標distinctive markにはならないことを示している。
命法Imperativeの説明
・未来の行為に関する記述であり、記述された内容を行うよう候補者に対して向けられる。
・話し手の目的purposeではなく、言い回しにポイントがある。
→というのも、為されるべきこと以外の目的から命令を下すこともあるからである。
・命令commandに対する実行条件は命題に対する真理条件に対応する。
・命令orderは意図と共に発されうるが、意志作用volitionの表現ではない。
命令orderの詳しい説明
・命令は通常、充足being fulfilledしたか否かより、健全soundか否かで批判される。
e.g.ここから飛び降りてコーヒーを買ってこい。通常、買ってこなかったから批判されるのではなく、健全でない命令であることが批判されるはずである。
・しかし、この基準だけでは命令と未来の推定estimates of the futureは区別できない。
e.g.(非)科学的推定の場合:科学者/卑弥呼が日食の日付予測をしたとしよう。この時、前者は方法論が健全か否か検討されるのに対し、後者は予測が充足されるかが検討される。
・例の前者が成立することから区別は完全ではない。では命令と推定をどう見分けるのか?
→健全さの根拠の違いである。命令の場合は目的に対する手段が良いかどうかで判断される。しかし、科学的推定の場合は蓋然性が考慮に含まれている。
(ここまで分類したにもかかわらず次の話に移ってしまうため、アンスコムの意図が明確に読み取れない)
命令commandと意図の表現の説明
・命令commandと意図の表現を予測に含めたくないという異論は自然な感覚である。
・以下の解釈は今回最も難航した点である。その要因はthe superficial grammarとthe diagnosisの不透明さに由来する。議論の結果、最も整合的だと考えられる解釈を示す。
・少なくとも、命令commandの場合superficial grammarを根拠に為される一時的な異論は理解可能である。というのも、予測の真偽は言明の前後の動詞を比較することで明らかとなるが、命令commandはこの点を問題としていないからである(実行条件が重要)。
・しかし、このsuperficial grammarの観点からみるならば、意図の表現はI am going toを含む=単純未来形で記述されることになり、それゆえに予測と意図の表現は一致する。したがって、異論は棄却できるように思われる。しかし、この異論はより根深いものなのである。
意図の表現の説明(本題に入るための予備議論)
・やると言ったことをやらなかったとしても、私は間違いを犯したわけでも嘘をついたわけでもない。そのため、意図の表現の真理性は言ったことをするかどうかの問題ではないように見える。しかし、これは誤りである。先の事実が示すのは、嘘や間違い以外にも真でないという方法があるということなのである。
嘘の場合(これは真になりうる):
・私たちが嘘をつくのは現在の何かに基づいており、未来の何かではない。
→結局後になってするにも関わらず、しようと思ってたんだよと嘘をつくことができる。
・つまり、嘘とは心mindに反する発言である。しかし心に反しているからと言って、心の内容が誤った報告になるとは限らない。
言行(不)一致に関する議論:
・クワインは命題が真となるために行為すると言ったが、これはジョークに過ぎない。というのも、言ったことをやらなかったという事実によって、発言が批判されるとは限らないからである。逆に、行為しなかったことが批判される場合が往々にしてある。
e.g. バンジージャンプやります!しかしできなかった。この場合、通常批判されるのはバンジージャンプやりますという言の方ではなく、実際に飛ばなかったという行の方である。
・その他、心変わり、書いていると思っていることと違うことを書いている事例、St. Peterの事例など。
以上の内容をまとめると、
言行一致の場合、真。
言行不一致の場合、偽。この時、言が批判される場合と行が批判される場合がある。
命令command=サイン(あるいはシンボル)について:
・命令commandは本質的にサイン、あるいはシンボルであるが、意図はシンボル抜きで成立しうる。
→私たちは「命令command」とは言うが、「命令commandの表現」とは言わない。逆に、意図については「意図の表現」と言える。
・この背景には一つの自然な考え方がある。つまり、意図の表現を理解するためには、何か内的なものsomething internalを考える必要があるということである。
→それゆえ、意図の表現を予測と呼びたくないと感じる。
・サインの許容範囲については議論の余地がある。ハイデガー『存在と時間』第17節:指示と記号の議論を想起させる。看板はさておき、集合!といった号令もサインに含みうるだろうか→The utterance of "assemble!"ならば含みうるのではないか。
意図の表現は慣習的である
・ここまでの議論から、少なくとも意図は私たちが表現できる何かとして現れてきた。
・動物brutesも意図を持ちうるかもしれないが、しかし決定的な表現を欠いている。
e.g. 猫が鳥を付け回す行為を意図の表現とは呼び得ないだろう。
・ある人はところで車の失速をもうすぐ止まるよという表現だというかもしれない。
・この意味では、意図は感情とは異なって、その表現は純粋に慣習的である。
・そして、仮に慣習的意味を伴うある身体的な動きを言語のうちに含めることを認めるならば、言語的だと呼びうるだろう。
→慣習的意味を伴う身体的な動きの例:質問があるときに手を挙げる。
中川の問い:ではなぜ猫が鳥を付け回す行為は意図の表現だと認められないのか?
服部解釈:人間の場合はまさしく手を挙げるという行為が意図の表現であるということが慣習的に決まっている。つまり、質問があるときに首を振る、机を叩くという行為でも構わないが(=オルタナティブがある)、猫の場合は本能的な動きのため、付け回さないという選択肢がそもそもない。したがって慣習的とは呼べない。
→中川の問い:ではお手はどうなのか。人間が質問するときに手を挙げるように、犬も訓練によって慣習的な意味を伴う身体的な動きを獲得しているのではないか。実際に餌が欲しいときに犬は言われずともお手をする。これは意図の表現と言いうるのではないか。
・この点に対して、lacking any distinct expression of intentionの解釈が問題となる。
以下、解釈を整理した図表を掲載する。


(文責:中川)